自分が自分らしく生きるための必要性を感じられなきゃスポーツなんて上達しない

タイトルがすべてなので、はっきりしたオチはほぼないです。

10代〜20代前半の若い選手と話す機会が最近よくありまして、仲の良い選手には、選手観というか、人生観みたいなものをなんとなく聞くようにしてるのですけど、全国大会の常連やトップランカーになれるほどの実力があったとしても、水泳は実はもう辞めたいんだとぼやく選手は、けっこう多くて。そうなると選手観もクソもなくて、話を聞いても「受験も考えなくちゃだけど」「練習がきつくて練習以外何もできない」「学校ではいつも眠い」「コーチからは怒られてばかり」「親からの期待が重すぎる」しか出てこない。さらに行くと「練習の時間になるとお腹が痛い」「過呼吸起こしがち」「神経が立って寝られなくて睡眠外来に行った」「食事の時間すらうんざりしてて拒食症気味」とかも出てくる。聞いてるこちらが過呼吸起こしそうなほど心配になるけど、たぶんその状態に本人の意思ってあまり関与してなくて、意思決定権の大部分が家庭かクラブか学校かだから、本人だけにはたらきかけたところですぐ解決できることって少ない。
(家庭やクラブや学校が悪いと言いたいのではありません)

いつまでにどんなタイムを出してみたいとか、どんな泳ぎをしたいとか、高校行っても泳ぎたいとか水泳関係ないけど大学ではこんな勉強をしてみたい的なライフプランだとか、そういえば勉強の成績向上方法も極論言えば水泳と一緒ですよねとか一般人にはよくわからない悟りをひらいてみたりとか、そういうのを自分なりに描けてるといいんだろうなと思う。それが家庭やクラブや学校に受け入れられていると、よりいいんだろうなと思う。それを一緒に語り合って膨らませられる仲間がいると、さらにいいんだとも思う。ただ、そんなのを普通の若者ひとりでまっさらな状態から捻り出すのは、無から宇宙を創造するようなもん。未来ある選手に関わるイチ外野としてできることは、選手の持つ小さな「こうなりたいな」「これ面白そう」を広げる何かのきっかけになることだと、そういう話になると思う。

「これ面白いからもっと追求してみよう」「こうなれたら最高だからさらに練習を積もう」「これも挑戦してみたい」、そうなってくるとポジティブスパイラルが止まらなくてグイグイ伸びる。いや、仮にタイムは思うように伸びなかったとしても、本人の顔つきはめっちゃ良くなって、自発的になって、視野が広がって、好奇心旺盛になって、貪欲になる。ほとんどの人にとってスポーツは趣味なんだし、それやってると顔つきが良くなるってだけで、スポーツには価値がある。いやもはや趣味じゃない人だってそう。別にスポーツできなくても(契約は切られたとしても)命は絶たれないはずなのに、ずっと顔色悪いのに結果で返すためにスポーツしてたら、そりゃ死ぬ。萩野公介くんも死にかけたらしいし(※)。他人の意思は関係なしに、「次はこれをやってみたいな」「これができるようになりたいな」というピュアな願望と、「できなくても死なないんだから精一杯やってみよう」「休む日があったって死なないんだから無理な日は休もう」という前向きな諦めだけが、良い「好きなことやるんだからしっかり働こう/学校の勉強もしよう」「ちゃんとご飯食べてちゃんと寝なきゃ」「練習場にいないときにもできることはないか調べてみよう」を生み出すんじゃないかなと思っていて、それってすなわち、その人らしく生きるということですね。そう思います。
(ところで「諦める」とは元は仏教用語で「明らめる」、真相をはっきりさせて明らかにするという意味があります。情報を揃え、状況を踏まえて、自身の気持ちも整理した上で、やるべきは今ではないとポジティブに割り切って別の方向を向くことは、悪いことではありません)

話がふんわりしてきました。まとめますと、スポーツとは人生を楽しむということだと思いますので、もし義務感や責任感や惰性で今日も練習に行ってしまったとか、いつまで経っても結果が出なくて苦しいとか、何が楽しくてこのスポーツを続けてるのかわからないなんてときは、生殺与奪の権を一度自分に引き戻してみることをおすすめします。やらされてるばかりの人生なんて、生きてるとは言えないからね。生きてね。

 

※:この記事のことです。

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