岩手に2泊3日の旅をしてきました!
「岩手 ジンギスカン」でググるとトップでヒットする超有名ジンギスカン専門店「あんべ」でジンギスカンを食べたり(厚切りでおいしかったです)、
小岩井農場でさんざん遊んでソフトクリーム食べてそのあとにジンギスカンを食べたり(薄切りでおいしかったです)、
あとは妖怪を探しに行ったり、イーハトーブでクラムボンしたりしました。
旅の行程を全部書いてるとキリがないので、良かったところをランキング形式でお伝えしてまいります。
第1位:宮沢賢治の見ていた世界
いきなり第1位から書きますけど、今回の旅のテーマは「イーハトーブとカッパ」。「ポニーテールとシュシュ」みたいな、最近のアイドルが歌ってそうなタイトルでしょ! それほどにモードでスタイリッシュな旅だったというわけであります。花巻と遠野を中心にうろうろしました。
賢治について、旅に出る前までは実はそんなに知識がなくて、
・童話とか詩とか書いてる、なんだか有名な人
・”岩手”を”イーハトーブ”と読み替えちゃう、こじらせた厨二病独特の世界を持っている人
・『セロ弾きのゴーシュ』は『ごんぎつね』の茂兵と同じくらいゴーシュが傲慢でうざい
・『銀河鉄道の夜』は終盤のキラキラな世界を引き立てるための前半の冗長な陰鬱さが頭おかしい
という程度の認識でした。
でも、記念館の資料を見て回るうちに、賢治は自分の中に持っている世界がとにかく多くて、そのひとつひとつが膨大できめこまやかで、そしてそれはこの岩手という地が彼をそうさせたのだろうな、ということに気づきました。決して賢治の頭がおかしかったわけではなったのです。
たとえば、『やまなし』といえば、カニの兄弟が川底でプクプク泡を吐きながらおしゃべりをしているだけの、なんてことはない、清らかで儚いストーリーであるはずなのに、序盤でいきなり「クラムボンは死んでしまったよ。」とくるもんだから、これを教科書で読んだ全国の小学生はもれなく度肝を抜かれてきたものです。
これに関して、様々な考察のひとつに、「幼児が、自分だけに見えている概念に、自分だけの名前を付けるのは、よくあること。私たちは、大人になって”常識”を知るにつれて、それを忘れているだけ。したがって、『クラムボン』とはカニ語の幼児語であり、私たちには見えないものなのである」という文章がありました。
…幼児の頃のまだ構築されきっていない世界をこうもなんでもないことのように日常に織り交ぜて表現できる賢治、めっちゃヤバくないですか…? あなたが読んだ最近の、まだ生きてる人間が書いたもので、漫画でも小説でもラノベでもなんでもいいんですけど、「幼児の頃の未構築の世界」という観点であることを前提に描かれた作品って読んだことがおありですか?? ないよね?? 普通ないよ!! つまり賢治すごい。
もしくはたとえば、『蛙のゴム靴』では、
「蛙たちはあの玉髄のような雲の峰が好き」
といった意味の文章が出てくるのですけれど…
玉髄(ぎょくずい)…
何のことだか、ご存知ですか??
画像検索でググった結果のスクショを貼っておきますね!
鉱石のひとつで、たしかにその形はモクモクしてるっちゃーしてるかな、というかんじで、夏の雲みたいと言われればそうかもしれないとは思いますけど、石を雲の喩えに持ってくるって、、、ちょっとよくわらかないですね。。。カエルみたいに水中から雲を見ればこう見えるかもしれない、かな?
石が賢治にとってごく当たり前で身近で、かつ個性ある魅力の詰まった存在だったことを裏付ける一節です。
他にも賢治は、我々一般人からしてみればややマイナーに思える石という存在を、作品中にたくさんちりばめているそうなのですが、私はあまり詳しくないので気になった人は宮沢賢治全集でも購入して該当箇所に付箋を貼って書き出してみてください。
こんな調子で、ほかにも賢治の得意分野は「星・星座」「動物」「植物」「宗教」「科学」「農業」と多岐に渡ります。(※賢治は農業学校の先生です)
今挙げたような濃度の世界観を、ほかの分野でも同様にして展開していきます。濃いね〜。賢治の作品の言葉選びは、幻想的でロマンチックで浮世離れしているようでいて、そのどれもが実は現実世界(=我々ふつうの人間に見えている世界)に存在し、賢治が細やかに調べ上げた上での正しい知識に則ったものだからこそ美しくて、今でも教科書に載り、世界中で愛されているんだなということがわかります。
いろんな世界に興味を持ち、細かく勉強できている、という点でも賢治はすごいのですが、もうちょっと手前から考えてみると、そんなにたくさんの世界に興味関心を抱けること自体が、そもそもすごい。そう思いません? 「アニメオタク」「ゲームオタク」「水泳オタク」なんてのは現代にもたくさんいますけど、賢治レベルの濃度で専門分野を掛け持ちできている人が、はたしてどれくらいいるのだろうか?
URLとかは忘れてしまったのですけれど、以前、ラノベで賞を取るために最近の受賞作品の世界観を徹底分析した人のブログを読んだことがあって、「ラノベにおいて『異世界』であることはもはや前提条件で、それだけでは戦えない。異世界×食事、異世界×経理、のように、2つ以上の専門分野を持ちこまないと読者は惹き込めない」という研究結果を残していました。実際にその人は、異世界×海洋戦というジャンルでいいところまで行ったとかなんとか。
別にラノベでなくたって、学術だってスポーツだって、違う種目にも世界を広げてみることで総合的なレベルアップが図れるというのは、よくある話です。いろんな分野のいろんな成り立ちを知ることで、自論がより緻密で強固なものとなり、さらなる飛躍につながる。的な。
世界は広げることで深くなる、って、ちょっと真理っぽくてかっこいいよね〜。
もしかしたら賢治は世界でいちばん真理に近い人間だったのかも。そんなふうに感じました。
で、賢治はなぜそんなにいろんな世界を持っているのかという点なんですけれど、これは岩手に行ってみてなんとなく感じたことなのですが、それは岩手という地の持つパワーのおかげも多分にあると思います。
とにかく自然が豊かで穏やかで静かなの! いや、当たり前なんだけど。都心じゃなきゃどこでもそうだろってのはそりゃそうなんだけど、あんなに幻想的な世界を構築できるだけの語彙はすべて、賢治が実際に岩手で見たものから生まれているわけで、賢治が都会生まれだったり、試される北の大地に生まれてたり、九州で火山の噴火を目の前にしてたり、四国で水不足に悩まされながらもうどんを打ってたりしていたら、賢治に見えるものもまた違ってしまって、イーハトーブは生まれてなかったはずなの。
私たちのようなそこそこ発達した街で生まれ育った人間とは異なる構造文で描かれた世界が賢治には見えていて、それはつまり賢治が私と同じ「人間」ではない部分があるということで、夫くんが「岩手出身の友人がいたけど、キツネなんじゃないかと思うくらい、人とは違う感性を持った文章を書いてた」と証言していたり、後編で書きますけど岩手にばっかりたくさんの妖怪伝説が残っていたりするところを見ても、もう、岩手には、一定の人を惹きこんで取り入る、何かいるんですよ。岩手に行けばわかる。私は賢治じゃないのでうまく言葉にできません!!!(キレ)
前編の最後として、「正直、宮沢賢治の作品とか、題名くらいしか知らん」という方も少なくないと思いますので、夫くんがその魅力にとりつかれ、旅路で延々とタイトルを念じていた心象スケッチ『春と修羅』(※自分の心に映ったものをそのまま書いたものなので「詩集」ではなく「心象スケッチ」なのであると賢治が言っていました)の出だしだけ引用しておきますから、その魅力を存分に味わってください。
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)
ね?
明らかに賢治は見えてる世界が違うでしょ?
大高忍先生の『マギ』みたく、今ある次元にマギの流れを可視化して重ねたことで、同じ世界だけど違う世界がウーゴくんとソロモンには見えていた的な、とにかく同じだけど違うんだよ!!! わかって!!!(キレ)
というわけで、妄想でも厨二病でもなく、賢治はここ岩手でたしかに世界をそう見たわけで、賢治の見た世界を自分も見たいファンがたくさんいるわけで、それで、賢治関連の記念館だけでも岩手に4つもあるということです。時間の関係上、今回足を運んだのは宮沢賢治記念館と童話村だけでしたが、今後の人生に深みを得られる、よいところでした。前編終わりです。
賢治だけでこんなに長くなると思いませんでした。